2014年4月2日水曜日

砂川判決と集団的自衛権 (アメリカ公文書から暴かれた対米従属)

【それは反論になってない。】

集団的自衛権 高村副総裁が山口代表に反論

自民党の高村副総裁は2日、公明党の山口代表が1959年の最高裁判決は集団的自衛権の行使を容認する根拠にはならない、との認識を示したことについて、「集団的自衛権が判決の視野に入っていなかったとは考えられない」と反論した。
http://www.news24.jp/articles/2014/04/02/04248522.html

これは、どう考えてもおかしい。

公明・山口代表「砂川判決は個別的自衛権を認めたものと理解」


 公明党の山口那津男代表は1日午前の記者会見で、自民党の高村正彦副総裁が昭和34年の砂川事件の最高裁判決を、集団的自衛権の行使容認の根拠としてい
ることについて、「砂川判決は個別的自衛権を認めたものと理解してきた」と述べ、同判決は集団的自衛権の行使容認を視野に入れたものではないとの認識を示した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/stt14040114340003-n1.htm

ここで触れられている砂川判決はWikiの情報を転載すると下記のものだ。

砂川判決:
「憲 法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦 力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一 見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論採用)

これから言えば、「日本国が指揮・管理できない戦力」は日本国の戦力として認められない。
「集団的自衛権」により米軍の指揮下に組み込まれた自衛隊の戦力は、「日本国の指揮・管理下に完全に留まる」とは言えない。
だから、この判決からでは、集団的自衛権の行使は容認されない。

第一、この砂川判決自体、一審の伊達判決を翻した政治的な判決である。
伊達判決:
「日 本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違 憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条(デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の 判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)ことで注目された(伊達判決)。

日本国憲法のもとでは、この判決の方がより憲法の精神に沿っている。

「在日米軍の駐留は合憲か!」あらためて伊達判決を見つめよう ―砂川事件裁判記録―

 1955年に始まった米軍立川基地拡張反対闘争(砂川闘争)で、1957年7月8日、立川基地滑走路の中にある農地を引き続き強制使用するための測量が
行 われた際に、これに抗議して地元反対同盟を支援する労働者・学生が柵を押し倒して基地の中に立ち入りました。この行動に対し警視庁は2ヵ月後に、日米安保 条約に基づく刑事特別法違反の容疑で23名を逮捕し、そのうち7名が起訴され東京地裁で裁判になりました。1959年3月30日、伊達秋雄裁 判長は「米軍が日本に駐留するのは、わが国の要請と基地の提供、費用の分担などの協力があるもので、これは憲法第9条が禁止する陸海空軍その他の戦力に該 当するものであり、憲法上その存在を許すべからざるものである」として、駐留米軍を特別に保護する刑事特別法は憲法違反であり、米軍基地に立入ったことは 罪にならないとして被告全員に無罪判決を言い渡しました。これが伊達判決です。


 この判決に慌てた日本政府は、異例の跳躍上告(高裁を跳び越え)で最高栽に事件を持ち込みました。最高裁では田中耕太郎長官自らが裁判長を務め同年12
月16日、伊達判決を破棄し東京地裁に差し戻しました。最高裁は、原審差し戻しの判決で、日米安保条約とそれにもとづく刑事特別法を「合憲」としたわけで
はなく、「違憲なりや否やの法的判断は、司法裁判所の審査には原則としてなじまない。明白に違憲無効と認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外の
ものであって、右条約の締結権を有する内閣および国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねられるべきものである」として自
らの憲法判断を放棄し、司法の政治への従属を決定付けた
のです。そしてこの判決の1ヶ月後の60年1月19日、日米安保条約の改定調印が行われ、現在まで
つながっているのです。
CD-ROM「砂川事件刑事訴訟(公判)記録」(1枚2000円)の申込先は、FAX:03-3239-7870 伊達判決を生かす会(自治体退職者会気付)

http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20111209_01.html

それを「統治行為論」を採用した数少ない判決で無効にしている。裁判所の一種の逃げか職務放棄だ。
統治行為論:
国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論のことをいう。裁判所が法令個々の違憲審査を回避するための法技術として説明されることが多いが、理論上は必ずしも憲法問題を含むもののみを対象にするわけではない。

砂川判決を下した最高裁判所裁判長・田中耕太郎長官とアメリカとの密約が、アメリカ側の公文書開示で明らかになっている。

砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

2013年4月15日
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/0415.html

4月7日、仕事場で原稿書きしていると、NHK社会部記者から、砂川事件最高裁判決をめぐる秘密文書が米国立公文書館で発見されたというメールが届いた。記者が、かつて「直言」で取り上げたNHKスペシャル「気骨の判決」(大審院の鹿児島2区翼賛選挙無効判決)を制作した方だったこともあって、こちらから電話をかけて取材に応じた。

 実は5年前、同じような資料が発見され、それに私も関わったことがある。それは、米軍立川基地をめぐる砂川事件で、米軍駐留を憲法9条違反とした
東京地方裁判所判決(伊達判決、1959年3月30日)が出された翌日、マッカーサー米駐日大使が藤山愛一郎外相と会って、最高裁に跳躍上告することを示
唆したこと、大使は田中耕太郎最高裁長官にも会って、田中長官が「少なくとも数カ月で判決が出る」と語っていたことを示す極秘公電だった。当時は共同通信
から資料送付を受けてコメントを出し、この直言でも詳しく論じた(「砂川事件最高裁判決の仕掛け人」)。5年前の文書は、3月31日と4月24日の公電だったが、今回発見されたのは、8月3日付の公電である。つまり、田中長官が「少なくとも数カ月」と述べてから4カ月あまり経過して、その後の事情の変化を反映した形になっている。

 今回の文書により、田中長官が上告審公判前に、駐日米公使と非公式に会い、判決期日や一審判決を取り消す見通しなどを「漏らしていた」(『毎日』
の表現)ことが明らかになった。この文書は、布川玲子氏(元山梨学院大教授)が開示請求をして入手したもの。在日米大使館から国務長官宛の公電(発信日、
1959年8月3日)で、ウィリアム・レンハート首席公使に田中長官が述べた話が報告されている。長官が語った話のポイントは4つ。(1)砂川事件最高裁
判決は12月に出ること、(2)争点を法律問題に限定すること、(3)口頭弁論は9
月初旬から3週間で終えること、(4)裁判官全員一致の判決をめざし、世論を混乱させるような少数意見を避けること、である。

 実際の公判期日は1959年8月3日に決まり、9月6日から6回を指定し、18日に結審。12月16日に一審判決を破棄・差し戻し、判決は全員一
致だった。米公使に語った通りになっている。公使がこれを書いた日付が7月31日なので、田中長官にはそれ以前に会っていたことになる。「共通の友人宅」
での会話とあるので、29日の土曜日か30日の日曜日に会って、31日(月曜日)に起案したと見るのが自然だろう。事件が大法廷に回付されることが発表さ
れるのは8月3日だから、日本国内に向けてマスコミ発表する前に、米国に伝えていたことになる。

砂川判決のポイント:
(1) わが国は主権国家として自衛権は否定されておらず、憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではなく、防衛力の不足を補うため、他国に安全保障を求めることは憲法上禁じられていない。
(2) 憲法9条2項が禁止する戦力とは、わが国が主体となって指揮権、管理権を行使するものをいい、外国の軍隊は、わが国に駐留するとしても、ここでいう戦力に該当しない。
(3) 日米安保条約のような高度の政治性を有するものに対する違憲か否かの判断は、司法裁判所の審査には原則としてなじまず、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所の司法審査権の範囲外にある。
(4) 安保条約に基づく合衆国軍隊の駐留は、憲法9条、98条2項、前文の趣旨に適合こそすれ、これらに反して違憲無効であることが、一見極めて明白であるとは、到底認められない。
田中長官にとって、ちょっと危ない存在だったのは、3人の裁判官の「意見」である(補足意見とも、反対意見とも書いていない)。まず、小谷勝重裁判官である。主文には同調しつつも、条約に対して「一見極めて明白に違憲無効」と認められるもの以外は違憲審査権が及ばないという部分には、明確な反対を表明して
いる。小谷裁判官は、多数意見の上記(3)と(4)の間の矛盾を批判し、「多数意見の一連の判旨には到底賛同し難い」と言い切っている。条約に限らず、法律でも、「高度の政治性を有する」ものは数多くあるとして、また統治行為説にも憲法上賛同できないと断じる。そして、判決が(4)の手前の(3)のところ
で終了して結論を出すべきだったとする。小谷裁判官は違憲審査権の意義を長々と書いた上で、「わたくしは平和の維持と基本的人権の擁護のため、違憲審査権の健在を祈ってやまないものである」と結んでいる。弁護士出身の裁判官らしい、限りなく反対意見に近い「意見」である。なお、奥野健一(参院法制局長)、高橋潔(弁護士)両裁判官も、この小谷裁判官と同じ点に着目し、多数意見は論理の一貫性を欠くとして、「違憲でないことを実質的に審査判示している」ことを鋭く指摘している。

このように、少なくとも3人の裁判官が田中長官の主張に異論を唱えていたことは重要である。しかし、3人とも結論に賛成し、形としては「全員一致」になっ
たため、この鋭い指摘はメディアにもあまり注目されなかった。これで、田中が米公使に語った、世論を「かき乱す」少数意見は出さないという狙いは達成されたわけである。

 第3に、田中が主導した砂川事件最高裁判決の「超高度な政治性」である。「高度の政治性」のある国家行為に対して司法の抑制的な姿勢を求めなが
ら、自らはアグレッシヴなまでの政治性を発揮している。その点で、未公表だった今回の資料以外の米国立公文書館の資料を分析して、米国側と田中長官とのや
りとりを白日のもとにさらした本がある。末浪靖司『対米従属の正体――米公文書館からの報告』(高文研、2013年)
ある。その第1章「『米軍駐留』合憲化への工作」には、私が関わった1959年3、4月の文書をはじめ、判決後の反響に至るまで、米国務省が砂川事件の帰
趨に異様な関心を示し、田中とのコンタクトを絶やさなかったことが明らかにされている。ただ、この本で抜けているのが、今回の8月3日の公電で、それが明
らかになったわけで、本書と照らし合わせて読めば、今回の資料の位置づけは明確になると言えよう。

 それにしても、この最高裁判決の「超政治性」は、判決を米国がどう見ていたかによってより鮮明になる。判決が出た翌12月17日の公電でマッカーサー大
使は、田中の手腕と政治的資質を称賛している。大使館から国務省への航空書簡(1960年10月4日)には、砂川事件一審判決によって引き起こされ「米軍
基地に対する脅威」は、「全員一致の最高裁判決によって除去された」とある(末浪・前掲書)。

 米国にとって、安保条約改定は、米軍基地を確保するための重要な「作戦」だった。その意味で、田中耕太郎を獲得するため、どれだけの時間と金を
使ったかを、本書は暴いている。ロックフェラー財団が田中と密接な関係を保ち、米国に招待し、人的な関係を築いてきたことが、米国務省資料によって明らか
にされている。「共通の友人宅」云々の表現も、この長年にわたる米国務省による田中シフトの一環と言えよう。

米国は、自国の国益、特に米軍基地確保のためには、何でもやる。これは、沖縄米軍基地をめぐっても、TPPをめぐっても繰り返されている

対米従属を決定づけた砂川判決でさえ認めていない「集団的自衛権」を、当時含まれていたはずとして強引に強硬突破しようとする自民党の暴走は。止めなければいけません。