2014年1月26日日曜日

【毒をもって毒を制す?】

いまの日本のブラックな現状を作ったのは、小泉純一郎首相の新自由主義政策から。

あのときも「郵政改革」のワン・イシューで政権を取り、その後、「契約社員」なるもの(非正規雇用者)を「専門職限定」で取り入れ、のちにそれは殆どの職種に及んだ。

現在の日本、正社員と非正規社員の年収の差は2倍にも及び、「ワーキング・プア」が町に溢れ、年間の自殺者は3万人を超える。(毎日のように、電車が「人身事故」で止まるのだ)

大学生は、正社員になる為、大学の後半は勉学等そっちのけで就職活動に走る。
100社以上の企業に応募し、ことごとく断られ、「就職うつ」にまでなる人も居る。
大学を卒業して、就職する為の専門学校に入ると言う事態まである。

大学は、少子化で年々入学者が減り、定員割れするところも。
学生は、学費や生活費の高さに、親のすねをかじれない学生はバイトや奨学金で食いつなぐが、奨学金は金利付き。
大学を卒業したとたん、数百万円の借金を背負う事になる。それも、返済が遅滞すると、サラ金並みの金利がつく。

就職したら、企業のグローバル化で賃金は抑制されたまま仕事ばかりが増えていく企業のブラック化が止まらない。
年収100万と年収一千万の層に分かれると言ってはばからない経営者まで出てくる。

これが一度我々が「ワン・イシュー選挙」によって飲まされた毒の効果だ。

その毒をまた飲まないと、「反原発」への道は無いのか?
その毒をまた飲まないと、「反原発」への道は無いと思わされていないか?

「選挙は勝たなければ意味が無い」=「選挙は勝って意味がある」
それは一つの真実だが、それを肯定すると言う事は、
論理学的には「選挙は負ければ意味が無い」を肯定する事だ。
それは正しいのか?

昨年の衆議院選・参議院選・東京都知事選。
民主おろしの風の中で、まんまと勝ちをさらったのは安倍自民党だった。
だが、その大勝の当選者数差程には得票差はなかった。

確かに、原発反対を望む声に対しては惨敗の選挙だった。
だが、その惨敗の中でも、
政治的に無名の「山本太郎」という参議院議員を誕生させた。

それは、これまで選挙に関わってこなかった人達の力であり、
これまでの政党選挙とは一線を画した勝利だった。

今度の都知事選に戻ろう。

「今回しかチャンスは無い」と、
これまで原発反対運動を率いて来た著名人やリーダー達は、
揃って細川・小泉陣営に走った。
それが毒薬である事も知っていて、
「反原発」以外の政策を掲げない、
再度の「ワン・イシュー選挙」であるにも関わらずだ。

あれほどまでにみんなで反対した「秘密保護法」など忘れたように。

「毒をもって、毒を制すだよ」
「これまで30年活動を続けて来て、一度くらい勝ちたいの」
「勝ったら、反原発の専門家の私たちが政策の決定に関与して、原発を無くす」

公示前と公示後の二度開かれた彼らの会見での、彼らの言葉が耳の奥に残る。

その言葉を発した顔には皺が刻まれており、長年の苦労を感じさせもする。
だが、力の無い表情と声は、自分の発した言葉で自分を納得させようとしているようにも感じた。

選挙の勝ち負けは、選挙制度にも左右される。
公職選挙法は、勝者の都合のいい方向にしか変えられる事は無い。

私は、今度の勝ち負けだけでなく、次の勝ち負けまで考えたい。

東京で反原発を唱えて勝ったとしても、原発立地県で反原発知事が誕生しなければ意味は無い。
(泉田新潟県知事は、孤独な闘いを続けている)

地方選挙でも、県知事選挙でも、国政選挙でも勝ち続けていかなければならない。
その為には、有名人にすがった勝ち方ではいけない。
しっかりとした政策を掲げるものが選ばれる日本にしていかないと、未来は無いのだ。

この意味に置いて、この東京都知事選は、
「民主主義に目覚めた人々」対「民主主義に似て非なるものをまだ信じている人々」との闘いでもある。

この文章を最後まで読んでくれたあなたが、「民主主義に目覚めた人々」の列に加わる事を願っている。
この門は大きく開かれている。

自分の気持ちをしっかり見つめ、
どのように行動したいと望んでいるかを、
自分の心の底を覗き込み、
自分に問いかけ、
他人の言葉に惑わされずに決めて欲しい。

一度しかない人生だから。
とても大事な、一票なのだから。